責任は何処にあるのか
「患者が求めるから、薬を処方した。」「治療を拒むのは、難しい。」
この問題を指摘した際に、医療側から良く発せられる意見です。
患者側に、精神医療への過大な期待があることは、事実でしょう。
しかし、患者側から云えば、(薬物治療の必要の無い)軽症での精神科受診を推進して来たのは、製薬会社であり、精神医療界であり、それを後押しした国、行政、そしてマスコミです。そして、治療の不必要な患者を最終的に精神科へ導いたのは、企業、教育の現場、行政、そして友人、家族、場合によっては被害者本人です。不適切な投薬を防げなかった責任は、その調剤を行った薬剤師、薬局にも責任はあります。
この問題に於いては、多くの関係者に、それぞれの責任があると云う事です。
それぞれが責任をどう問われるべきか、社会的なコンセンサスを取る必要があります。社会的なコンセンサスを取る方法として、訴訟は一つの有効な方法です。
それぞれの立場で、他の立場の責任を問うこと(責任を押し付けること)は、ただの責任逃れです。
それぞれの立場で、その立場に応じた義務と責任が果たされたかを問うべきです。
例えば、家庭問題で、精神に異常をきたした場合、その最初の原因は家庭内にあります。それが精神科の受診後、乱処方によりさらに悪化したとします。
この場合、家庭内の問題と医療の問題は切り離して裁かれるべきものです。
あくまでも、精神医療被害の問題は、医療者が、正しい医療行為が行ったかどうかで裁かれるべきです。患者の過大な期待がある状況を認めたとしても、そこで行われた治療・投薬行為が、患者の不利益の原因なった場合の責任の大部分は、医療にあります。
逆に、労働環境の問題や家庭の問題まで、医療者に責任を負わす事もすべきではありません。
また安易な精神科受診キャンペーンに加担した医療者以外の責任も、それぞれの立場の責任として問われる必要があると考えています。またベンゾジアゼピン系の安全性をうたうネット上の情報発信者には、情報の訂正と謝罪を求めます。
また、薬剤師には、明らかな乱処方を拒絶する義務があります。
製薬会社には、薬事法で、直接消費者への広告が禁止されています。
監督官庁、行政には、監督義務があります。
薬の不必要な軽症の患者に、投薬を行うと云う事は、健康な人をただ副作用のリスクにさらす事に他なりません。
医療に誤診はつきものです。医師としての義務をはたした上での過失を過剰に問う事は、社会に不利益をもたらします。しかし、それを認めるには、医療者としての義務を果たしているという前提が必要です。
危険な薬物の安易な処方や、漫然とした長期処方、多剤大量処方は明らかな注意義務違反です。医療者としての最低限の義務を果たしているとは言えません。
もし、治療上、長期処方や多剤大量処方が有益であるのならば、医療者は、その投薬が有益だというエビデンスを提示せねばなりません。
当会では、それぞれの立場の何処まで責任を問えるかを探って行きます。