医療に求めるもの

 我々が、精神医療に求めるのは、EBM、すなわち、科学的根拠に基づく治療・投薬です。
 日本の医療に、EBMの実践が求められるようになってから、十数年経ちます。最近では司法においてもEBMの考え方が取り入れられるようになってきました。 司法の場においても、医師が最新の文献などにより、最新の情報をもとに医療を行う事を義務とする判決もでるようになりました。
 では、そもそも、EBMが提唱されるようになった理由は何だったんでしょうか?
 背景には、医療費の増加、患者の権利の変化、情報通信技術の進歩(広く情報が共有できるようになった)があります。
 まず米国で、それらの変化に対応し、患者の利益を最大化し、効率化する為に、EBMが導入されました。
 EBMに基づく治療とは、個々の治療の経過(予後も含む)が、データとして蓄積され、評価され、例外事例や過失の情報までが広く共有され、医師は常に最新の医療情報を引き出し、患者の社会的状況や性質を加味して治療法や薬の選択を提示し、患者に選択させることを言います。 アメリカでは、EBMの導入により、十万人の病院での死亡者を削減する効果があった事例があります。 これを実践するためには、カルテの電子化、事故報告、副作用報告の厳格化が必要なのは言うまでもありません。
 特筆すべきは、治療データ成績により、医療者の業務まで制限されているということです。つまり事故の多い人物は、その業務に就けなくなるということです。

 それに対し、EBM前の治療を選ぶ基準は、次のようなものでした。
1.生理学的判断及び知識に基づく治療。
2.権威者による推奨に基づく治療。
3.個人的な医療経験に基づく治療。
 これは、次のように言い換える事ができます。
1.教科書でならった知識、医療慣習に従うこと。
2.製薬会社と学会の権威の推奨する治療法をそのまま行うこと。
3.自身の臨床経験に基づく治療を行うこと。
 現在の精神医療そのままです。
 精神医療においては、その治療の結果が全く評価されていないことが最大の問題です。治療の失敗はもとより、治療の成功、また薬の副作用、例外希少事例などのケースの情報も全く情報共有されていません。
 治療により治ったケースも、治らなかったケースも、その後の医療の発展のために、広くデータとして共有され、評価されねばなりません。また、そうした治療の過程で発生した薬の副作用も同じように報告されねばなりません。
 それにより、治療法も、薬も格段に進歩することが可能となるのです。またそれをしないことによって、医療の間違いが是正されず、薬害も隠蔽されるのです。 現在の精神医療被害は、医療の進歩への道筋を放棄した人災に他なりません。

 また、EBMは、医療者自身を守る事にも役立ちます。
 米国で、SSRIに対する訴訟が、頻発しているにもかかわらず、医師の責任が問われていないのは、EBMにより薬を投薬する判断基準が明確に示されているからです。
 EBMが実践されれば、「取りあえずこれ飲んでみて」などといういい加減な投薬は出来なくなります。どう診断し、厳格に薬を選択し、どう効果(副作用)があったかを明らかにせねばならないからです。結果、責任の所在は明確となります。
 EBMを実践する環境は既に整っています。にも関わらず、なぜEBMは実践されないのでしょう?


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