向精神薬の歴史

 向精神薬の歴史を振り返ることは、現在の薬を考える上で非常に重要です。
 19世紀から20世紀の半ば(1960年位まで)、最初の向精神薬の主役は、アルコールでした。今は嗜好品のアルコールは、薬品でもあったのです。アルコール中毒が問題となると、アルコール中毒の治療薬として使われたのがアヘン。そのアヘンから、さらに薬効強いモルヒネが精製されました。そして、モルヒネの中毒が問題になると次にコカインが、その治療に使われるようになりました。
 ある薬物の中毒の治療に、別の薬物を使うという手法は、このように19世紀にはすでに行われていたのです。アヘンも、モルヒネも、コカインも、その使用を始めた頃には、有用な薬として医師により称賛され、そして例外なく、後になってその問題が表面化するのです。
 (現在でも、アルコール中毒者の治療に向精神薬が使われている。)
 次に出てきたのが、臭素化合物。ついでバルビタールが登場する。1930年代のことです。
 バルビタール系薬物も例に漏れず、依存や中毒性は無いと主張されました。チャールズ・メダワー氏の著書『暴走するクスリ』の中で、バルビタール系薬品を擁護する精神科医の言葉を紹介しています。
 −世界中の文献を調査したが、1932年以前には157例の中毒死事例が報告されただけであった。これはバルビタール系薬物による自殺例は、全体の400分の1に過ぎない。極めて低い比率である。
 つまり、「危険性の証拠が得られていないことは、危険性自体が存在しない証拠である。」という論法が使われている。
 これは、現在の日本でも同じように使われている論法です。
 実際、正式な副作用報告で、バルビタール系薬品の中毒死は、年間数件しか報告されていません。しかし、医務監察院での中毒死の数は、東京都23区内だけで年間100人を越えているのです。
 バルビタールは、1960年代の覚せい剤とバルビタールの乱用ブームを経て、社会問題化し、市場から消える事になる。その時になって、英国でも米国でもバルビタールの依存性、短期使用でしか効果が持続しないとの公式見解が発表されている。
 そして、バルビタールの代わりに登場したのが、ベンゾジアゼピン系薬品である。
 英国では、1970年までにバルビタールが原因の2万件の救急搬送が行われ、2000件の死亡例が報告された。ベンゾジアゼピン系薬剤に取って代わられた理由は、バルビタール系薬品に対して、致死性が低いということでした。
 (なんと、恐ろしい事に、現在の日本は、この1970年代の英国より酷い状況にあります。)
 ベンゾジアゼピン系薬剤は、その致死性の低さを除いては、バルビタールと何ら変わらないものです。ベンゾジアゼピン系の薬剤は、様々な種類の薬品が販売されているが、その違いは単にその薬が、溶解するスピード、体外に排出される半減期の違いでしかありません。
 1980年代の英国では、ベンゾジアゼピンの依存者は50万人と推定されたが、やはり公式の報告では27例しかいないことになっていました。
 ソラナックスやハルシオンがまず問題になったのは、その半減期が短いためにその離脱症状が毎日起こり、症状が発現しやすかったからです。そして、英国では、TV番組によりベンゾジアゼピン系薬品の危険性が告発され、その中毒性、副作用の問題が広く認識されるようになりました。
 さらに、そのベンゾジアゼピン系薬品への非難をかわすようにして現れたのが、SSRIをはじめとする抗うつ剤です。
 このように、向精神薬の歴史を見れば、どの薬物も、最初は依存性や副作用の少ない薬として、先の薬の代替物として登場して来た歴史が判ります。
 この問題は、このように古くから延々と、同じ間違いを犯し続けてきたのです。そしてまた現在SSRIがまたしても同じ問題が発覚しつつあります。
しかし、この欧米の歴史は、この日本では当てはまりません。 日本では、バルビタールは今でも、自殺や中毒死の主役です。そしてベンゾジアゼピン系薬品の問題は、未だ英国の1980年代の段階なのです。 そしてこの歴史を学べば、この日本に自殺者が多い理由はおのずと理解できます。


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